ベロ亭賽窯

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東京での「影を踏む・岩国英子の陶と彫展」を振り返って.ベロ亭賽窯

蝶の搬入

壁の蝶とS
四五ちゃん
最後尾のうり坊
最初から

戸板シリーズ

「影を踏む・岩国英子の陶と彫展」を振り返って。

≪まえがき≫
福井にひっそり住んでいるのに、いったんベロ亭の岩国英子が東京に出るとわーと人が集まってくれる。おかしな話ですが、福井では展示室まで開き、庭はパートナーの米谷恵子が心を込めて手入れをし続けているのに、ほとんど訪れる人はいない。住んでいる人の価値観の違いのせいだと今は思っている。いやもしかして、都会から地方に行こうと言うベクトルのなさでもあるのだが。
 
とにかく2017年10月19日から11日間の会期で始まって、大きな台風が二つの来てしまった。留守中の福井の工房や住宅も大きな被害があったのだが。其の台風にもめげず、200人以上の人々が荒川区西日暮里3丁目17-15のHIGURE17-15CAS contemporary art studio 200人以上の人が詰めかけ、長靴姿の人が多かったのは都内の展覧会では印象的。もちろん英子のトークショウのあったオープニングパーティは40人が参加した。
 HIGUREは東京スタジオという、老舗で全国の美術館の設営をシェアする会社のオーナー小澤洋一郎さんが中心にいることで、次々に記念すべき展覧会が開催されており、岩国のような存在も支えてくれ、2012年のに続きここでの岩国の個展は2回目だった。
 一体どんな人が200人も現れたのかは一人一人の紹介は省くが、初めて岩国の作品を見てくれたのが、長きにわたって、メキシコで陶芸の指導を20年以上されていた樋口わかなさんださった。彼女は、「日本にもやきものでこうした表現をする人がいたのね」と、丁寧に作品を見てもらった。
www.joyoliving.co.jp/topics/201007/tpc1007014.htm
 また、ほんとに初期の頃からカメラマンとして全国の展覧会で英子を追っていたヒロ子さんも、「本当にいつまでも替わり続けるのね」と杞憂な存在の陶彫作家を今回も追ってくれた。
 かつては同居者でもありアーティスト仲間の景平洋子さんは、ビデオカメラを引っ提げて北海道から駆けつけてくれただけでなく、多くの彼女の友人を呼んでくれていた。
 もちろん、パートナ-で詩人の米谷恵子は影のかげから支えることも拒むように福井からHIGUREに英子の確認に現れていた。そして自らの「ノコサレシ人」への活動も引っ提げて東京に来た。とは言っても彼女からの「人生42年目を共に生きる パートナーのKEIKOからのご挨拶」を受け取った方々もたくさんおいでになった事もつけ加えなければなりませんが。

1、さて、今回の展覧会を振り返っての醍醐味は、まず搬入のメンバーだった。
実は、ベロ亭の長女、私は家族・戸籍制度では長女と言う呼称に違和感が大いにあるが、同性パートナー家族のベロ亭では、大いに娘のことをナンバーで呼ばせてもらう。
HIGEREから、10分ほどの千駄木に暮らす長女早苗は、人間関係を大切にする術を持っていて、特に、文京区でほうづき千成市を開催している光源寺を中心にした人間関係、また、地下鉄千代田線の千駄木駅近い「レインボーキッチン」などのつながりで、搬入の協力者は、実に豊富な人材であった。
 早苗の周辺にこうしたつながりが生きているのも、ベロ亭がベロ亭であったことと無関係ではないだろうと母はひそかに思っている。確かなつながりを娘が築いていることを、私は搬入で初めて会った人たちにあって知った。その40台から50代の多くは女たちだが、中には男の子も混じってもいた。その友達たちの動きは、日頃から他者を、大切にすることを鍛えた仲間だとすぐに理解した。搬入は丸3日かけて、壁にインパクトで20キロもある陶彫をを貼り付けるための、台や糸張りや、共同作業でないとできないことから始まった。しかもそれぞれが、岩国の命令だけで動くわけでもなかった。初めて会ったのに「やってみよう」と、蝶をあらかじめ私が染色して持ち込んだロープで、彼女らの助けがあり貼り付けができて行った。

さらに3枚のおそらく100年前の雨戸を額にした3枚の作品。ギャラリーの塩満さんが、小澤さんのアイデアに従い、ぶら下げたり、床に打ちつけたりだ。こんな風に長いボルトを直に打ちつけられるギャラリーは本当に聴いたことがない。作家としてはとてもありがたい空間だ。
そして、この2階の他に、1階の展示も、娘がふと声をかけた友人が、ものへの感もいい。とりあえず任してみた。よくきけば、元ギャラリーで働いていたということだ。娘はその事実は知らずに、頼んだ結果だったことにまた驚かされる。

2、HIGUREギャラリーの人が、売り子をしてくれるわけではない。ここでの金銭の授受や作品を包んだりお茶出しやら、信頼できる助っ人に支えられた。娘の友人で、こまめに気の利いた動きできるIちゃんや、責任感百倍のBちゃんが、そしてベロ亭生き方に心をいつも忍ばせている友人のAちゃんたちが、かけ回って成り立ったのだった。
                                                    
  「最後尾のうり坊」
「最初から」
                           「四五ちゃん」
3. そしてオープニングや、搬入時の食べ物の確保もすべて、娘の谷中の人間関係ですすんでいく。さらに、私のありとあらゆる人生の時間帯が、こうものを言わせるのかと思うほど、52年ぶりの同級生も含め各時代からの友人たちの顔ぶれがあった。ベロ亭の歴史的なやきものキャラバンをはじめとする活動があったこその顔ぶれなのだ。持ち寄りのアルコールやご馳走の数々もあり、私のトークも本当にほろ酔いとなって、何の準備もないトークではあったが作品のコラージュの動機や、四五ちゃんを作った動機などをを話した。

年賀状の報告にも記したが、作品「最初から」を少し小さくして持ち帰りたいと北の友に言われたり…。なぜ蝶なのですかと聞かれたり・・・。
 二階の搬入が終わった瞬間からからモノたちが果たして私にとって何であったかなどは消えてしまうのです。やきもの屋って生の粘土を捏ねまわし心の赴くままに形づくるところまでが表現行為で、焼き上がったその瞬間からは見ているその人たちのモノになり、自分の作品を突き放した感が今回はとてもある。まるで、私の作品でなく、ひとつの公共物になるような感じです。
販売中心の日用雑器はこうした意識と少しちがいますがね。

制作の段階では、福井の若者木嶋君に力の必要な要所要所で手を借りた。
案内ハガキができた段階ではマイノリティーのなかまであり、アーティストの鶴羽正高さんに宣伝やらセルバンテス文化協会につなげてもらったり、話の合う友達も得た。
 
 しかも最終日前日、作家の思惑どおりと言うべきか、私が明け渡したその空間で、二階に通い詰めた二人の舞踏家 金敬雲さんと本田舞さんによって物語が発展し、美しいまさにインスタレーションへと仕上げられました。
金さんは何度も作品を見に来てくれていた。
以下私の、詩から。

「四五ちゃん」


私は、身近な死者が
「本当は生きていた」という夢を
人生に何度かみている。

死んでほしくなかったからみるのか、
亡くなったことそのものも
その人に欺かれたからそう思うのか

四五ちゃんもそうだ。
ある時、私が急な坂道を歩いていたら、
偶然、四五ちゃんが犬や猫やイノシシたちと歩いているのにでくあした。

あまりに意外な出来事で
私は、四五ちゃんの後を、そっとつけていった。

そして、ある洞穴の中に入っていった。
なんと、そのほこらの中で、
たくさんの傷ついた動物たちに、餌をやったり
包帯を巻いたりしてやっていた。

そう、四五ちゃんは
夢でであったあの人でした。


このことについても金さんとだいぶ話し合った。
これだけでも、展覧会をやったかいがあったと思うほどだ。
陶彫作品『悩むほどに天を仰ぐ』と『四五ちゃん』とのコラボはhttps://youtu.be/OHS6FKKs0lE 遊び/play
でどうぞご覧ください。
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